真田丸、どうだった?

真田丸の感想などを大河ドラマ初心者の女子が綴ります

【真田丸】第10回矢沢頼綱はどんな人物?史実では沼田城は北条からなぜ守られたか

      2017/02/02

昌幸が頼りにした叔父

真田丸第10回。叔父上の矢沢頼幸が奮起します。沼田の城は北条に渡さん!!実際の矢沢頼綱も勇敢な人物で、そして真田家のために尽くしたようです。

 

矢沢頼綱は昌幸の父・真田幸隆(ゆきたか)の5つ下の弟となります。昌幸にとっては叔父です。

武田氏滅亡後も昌幸を補佐し、天正壬後の乱(てんしょうじんごのらん。本能寺の変のあとに旧武田領をめぐった戦いで、北条と徳川の和睦によって終焉)以降は沼田城で北条軍の猛攻をはねのけ、降伏勧告をも拒絶して孤軍奮闘しており、決して真田家に背きませんでした。

北条氏滅亡後、沼田領が真田氏に返還されると、真田信幸が城主となりますが、頼綱は今度は信幸を補佐すべく城に入り、生涯を沼田で終えました。昌幸にとって、頑固で律儀な叔父だったといえるでしょう。

大いなる謎 真田一族 (PHP文庫) 平山優 著 p.211

 

素晴らしい人物ですね。戦国時代、親や兄弟で争うことが多々ある中、真田家はそういうことがなかった唯一の一族だそうですが、当主である昌幸を支える真田家の人々が本当に優秀で、かつ忠実だったのだろうなと伺えます。昌幸だけで真田家は成り立っていたわけではないのだなと。

 

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ところで真田丸では、北条軍を追い払ったのは、信繁が上杉に虚空蔵山城(こくぞうさんじょう)で戦芝居をしようという策を持ちかけてこれが成功したからというストーリーになっていますが、実際はこのようなことはありません。この頃15,6歳の信繁はまだまだ戦には絡んでいないようです。

それに先立つ六月、昌幸は沼田城将として一族の矢沢頼綱を派遣し、金子美濃守ら沼田衆を指揮させていましたが、北条軍の包囲と攻勢のために追い詰められていました。これを知った上杉景勝は、七月十五日に矢沢頼綱に帰属を促します。

すると矢沢は、上杉氏への従属と引き替えに援助を求めることを決断しました。この時、昌幸は上杉と敵対していましたが、矢沢の決断を容認します。沼田城防衛のためには、やむを得ないとの判断だったのでしょう。昌幸はとにかく、沼田を北条氏に引き渡すことだけを拒んでいたのです。
大いなる謎 真田一族 (PHP文庫) 平山優 著p.208

 

北条と徳川との和睦の条件は、北条が吾妻・沼田領をもらう、ただし昌幸が渡さないのなら自力で奪い取るように、というものでした。もちろん昌幸は渡さないので北条が奪いに攻め込んで来るのですが、この争いに関わったのは真田と北条、そして上杉だけではありません。北条はそのほか諸々の勢力も味方につけて吾妻・沼田領を攻略しようとしますが、反北条の反撃もあったために断念せざるを得なかったようです。

 

北条に沼田を渡さずに済んだのは真田だけの力ではないのでしょうね。真田丸で描かれている以上に、実際の昌幸はギリギリのところまで追いつめられる経験を何度もしているような気がします。そして昌幸だけでなく、叔父上の矢沢頼幸やその他の真田家の人々もギリギリのところで奮起して戦ってきたからこそなのでしょう。

 

真田丸という家族船、という言葉をはじめに聞いたとき、私は、信繁と信幸、そして昌幸、あとは松と薫とばば様がメインなのかなと思っていました。第1回で出てきた真田家の人々が彼らだったので。ですが、矢沢頼綱や、昌幸の弟・信尹だったり、そのほかの真田家の人々、そして家臣もこの家族船に乗って真田家のために尽力したのだなと今回改めて思いました。

 

ところで、実際の虚空蔵山城の戦いは、真田は上杉と対立する意思はないと言った直後に、昌幸と信尹が虚空蔵山城を襲ったというものです。これにより上杉はないと大きな打撃を受けます。…むごい。

 

 

真田丸時代考証を担当している平山優先生の本を参考にさせていただきました。

大いなる謎 真田一族 (PHP文庫)

 

真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実 (角川選書)

 

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 - 第10回「妙手」(3月13日)